安音です♪

 

先の見えない重々しい空気が立ち込めてる今日この頃。

でもそんなことはお構いなしに、天気はどんどん春らしく、暖かくなってきてますね。

 

ここ宮城でもようやく桜が咲き始めました。

今年はあまり楽しむ時間もとれないかな~と思ってたけど、やっぱり散ってしまう前に少しでも見ておきたい(>_<)

 

 

というわけで昨日、近所を少し散歩することにしました。

マスクして、あまり長居しないように気を付けながら出発。



「今年も春が来た」という奇跡

庭先の花壇に咲くスイセン

道端に立つ椿の木

この日は朝から快晴で、まさに散歩するのに相応しいお天気でした。

ご近所さんのお庭も春の花でいっぱいになってます。

 

少しずつ色付き始めた周りの景色にワクワクしながら、母校である小学校のほうへ。

 

小学校の桜の木

校門の近くに来ると、咲き始めたばかりの桜がお出迎え。

青空いっぱいに枝を伸ばして気持ち良さそうだなぁ・・

 

世の中が大変な中、今年もこうして咲いてくれたことが本当に嬉しい。

今も昔も変わらない景色

咲き始めたばかりの桜

この学校は周りの通学路に沿って桜の木が並んでて、校庭にも大きな桜の木が5本立ってます。

私も小学生の時、この木の下でクラスの集合写真を撮った記憶が。

 

咲き始めたばかりの桜

本当なら今年も、この桜と一緒に入学式や始業式を迎えるはずだったんでしょうね。

休校措置が延長になったので、まだ学校は始まってないし、平日も子供達の声は全然聞こえません。

 

気のせいかな、桜が少し寂しそうに見えちゃいました。

誰にも見られないまま散っていくのも可哀想なので、今のうちにしっかり楽しんでおかないと。

 

小学校の校庭に立つ桜の木

まだ蕾も結構あったんですが、昔と変わらず綺麗に咲いてます。

本当に逞しいな、植物って。

 

 

花は短い時間しか咲かないけど、毎年こうやって誰かを楽しませてくれて、最後は「またね」って消えていく。

儚いけど、それがすごく素敵。

 

桜を見てちょっと泣きそうになったのは初めてかもしれません。

こんな静かな気持ちで過ごす春、きっとそうそうない気がしますね。

「当たり前」が変わりつつある今、思うこと

道路沿いに立つ桜の木

今回の事態が深刻化してから、「確かなことなんて何もない」ということを毎日のように感じてます。

 

今まで当たり前だったものが、明日にはそうじゃなくなってるかもしれない。

家族がいついなくなってもおかしくないし、一ヶ月後、今と同じ家に住んでるとは限らない。

 

 

青森のねぶたとか仙台七夕とか、今年は東北のお祭りも次々中止が決まりました。

毎年の楽しみが見られないのはとっても残念なこと。

 

だからこの桜だって、来年はもしかしたら楽しめないかもしれないんですよね。

 

4月の桜の木

そう考えると、新しい一日が自分に与えられてるって、本当に奇跡なんだなと。

 

ニュースを観るたび、そんなことにも気付かされてます。

相変わらず不安な状況は続いてるけど、一人ひとりが自分の生き方を見直すチャンスなのかもしれません。

 

小学校の桜の木から零れ落ちた花弁

「あと2時間後に、自分がこの世からいなくなるとしたら」

「家族との会話がこれで最後になるとしたら」

「桜の花がもう見られなくなるとしたら」

 

長い間生き続けてると、朝が来ることも当たり前に感じるけれど、実はすごいこと。

どんな時も「これが最後かもしれない」という意識を持って、目の前の一日を大切にしていきましょう。

 

 

安音でした、チャオ♪