安音です♪
先日こちらの本を読みました。
デンマーク出身の心理療法士イルセ・サンの『敏感な人や内向的な人がラクに生きるヒント』。
私も最近やっと分かったんですが、世の中には2つのタイプの人間がいる、と。
一つはいろんな人と積極的に関わろうとする外向的な人。
もう一つはその逆で、人との関わりを苦手とする内向的な人。
さらに、感受性が強い敏感な人(HSP:Highly Sensitive Person)というパターンもあります。
他の人が気にしないような光や音・匂いなどを不快に感じたり、繊細で争いごとが苦手なタイプ。
著者のイルセも自身のことを「内向的なHSP」だと語ってます。
そして私も、THE 内向型人間。
この本の最初に、自分が内向的か外向的かを診断するテストがついてるんですが、やってみたら完全に当てはまりました。
↑大方予想はついてましたけどね。
やっぱりか~という感じです^^;
↑敏感度のほうも調べてみたら、こちらも中間から高度の間という結果に・・
匂いや音はそれほど気にならないけど、殺伐とした環境が苦手だったり、映画やドラマの暴力シーンが怖くて観れなかったりします。
で、今の学校や社会の中で評価されるのって、外向的な人達のほうじゃないですか。
明るくて元気で人脈も広い人が、内向的な人達より良しとされる傾向がある。
だから私も子供の頃、学校が嫌で仕方ありませんでした。
大人になってからも仕事が出来なくて、社会と関わるのが怖くなっちゃったんです。
内向的で人が怖かった私の体験談
人の反応を気にして、自分を出せなかった
臆病で傷つきやすかった私は、「人に嫌われたらどうしよう」という不安をいつも感じてました。
誰かと話そうとしても、「こんなことを言ったら変だと思われるんじゃないか?」とか。
「こういうことをしてみたいけど、周りに笑われるんじゃないか?」とか。
他人の反応を気にして、自分を表に出すことが出来なかったんです。
だから今でもそうなんですが、私は人付き合いが大の苦手。
もともと口数が少ないので、学校でも友達が出来なかったし、いじめられたこともあります。
>>いじめのトラウマで人間不信になった私が、今ネットで自分を出す理由
社会人になってからも、仕事中は常に「人が怖い」という不安でいっぱい。
「他人に見られながら仕事をするのが苦痛」という人がいると思うんですが、私もその一人でした。
自分の行動が誰かに評価される・見られてると思うと、それがすごくストレスだったんです。
「怒られないようにしなきゃ」というプレッシャーで。
そのせいで仕事も上手くいかなくなって、結局2年で会社を辞めちゃいました。
>>うつ状態からの退職&ブログの運営開始から1年。今思うこと
自分だって本当は、誰かと気兼ねなく話したり遊んだりしてみたい。
でも相手の存在が気になるあまり、自分の気持ちを上手く表現出来なくて、人とどう関わったらいいのか分からない。
周りの人はみんな友達もいて、話すことも自然に出来るのに、どうして自分には出来ないんだろう。
私はそれが許せなくて、内向的な自分のことが大嫌いになっちゃったんです。
「外交的になれ」という周りからの圧力
悲しいことに、学校や職場でも、内向的な人ってあまり良く見られません。
確かに明るい人のほうが接しやすいし、周りの人とも上手く付き合えると思います。
その反面、大人しい人って何を考えてるのか分からないし、沈黙が多くて話しかけづらい・・と思われがち。
私も中学時代、そのことでとっても苦労した経験があります。
当時の私は、小学生の頃に受けたいじめがトラウマで、学校ではずっと一人で過ごしてました。
それを見かねて、担任の先生や部活の顧問の先生が働きかけてきたんです。
「もっとみんなと話しなさい」「明るくなりなさい」って。
自分でも分かってたんですよね。
私があまりにも人と関わろうとしないせいで、周りが気を遣ってるのが。
「なんでそんなに喋んないの?」と、あからさまに言ってきた先生もいたし(汗)
なんでって言われてもなぁ・・
昔からそうだったから説明のしようがないんですけど。
多分、みんなは私に、もっと心を開いて欲しかったんだと思います。
社交的になって、友達作って、楽しく学校生活送りなよ!って。
それで私も「今の自分じゃダメなんだ。もっとみんなと喋るようにしなきゃ」と考え始めました。
でも、結局最後までそれは出来なかったんです。
やっぱり人の目が気になって、自分を出すのがどうしても怖かったから。
高校時代、大学時代・・と、私はそれからも人とのコミュニケーションが上手くとれないまま、大人になっていきました。
内気で消極的な自分に劣等感を抱きながら。
「自分のままでいいんだ」という気付き
でも最近、世の中には外向的な人が多い一方で、自分みたいな内向的な人もたくさんいるんだ、ということを知って。
それから考え方が180度変わったんです。
中学時代、先生達から「もっと人と関わりなさい」「自分を変えなさい」と言われるたびに、「大人しい私はダメなんだ」といつも感じてました。
だけど、本当は自分を変える必要なんてなかった。
内向的なままでも別に良かったんです。
それが自分だから。
今思うと、当時の私に必要だったのは、自分を否定して外向的になろうとするんじゃなくて、内向的な自分を受け容れることだったのかもしれません。
先程紹介した本の中にも書いてます。
「敏感だったり内向的だからといって、自分を変えようとしなくてもいい」って。
人との交流が苦手で、上手く喋れなくて、周りの反応に敏感。
自分はそんな人間。
そういう形で生まれてきちゃったんだからしょうがない。
それに、あんまり人とは喋らないけど、内側には熱いものを持ってると自分でも思います。
外向的な人に負けないくらい。
人目を気にしたり、先のことを心配しすぎちゃう時もあるけど、それは事前にちゃんと準備をして、いい形で結果を残せるということだし。
口下手だけど、文章を書いて伝えることは、子供の頃から得意だし。
内向的な自分だからこそ出来ること・与えられてるものもちゃんとある。
私も少しずつ、それらを認められるようになってきました。
【まとめ】いろんな人がいることを認める
「全然喋らないね」
「大人しいね」
↑これからこんなことを言われたら、相手に向かってにこやかに微笑みつつ、心の中でこう返してあげたいと思います。
「だから?」って。
そう、だからなんだっていう話ですよ。
大人しい人間ですけど何か?
内向的で、何かいけないことでもあるんでしょうか?
世の中、顔も中身もいろんな人がいるっていうのに、なんでみんなと同じにならなきゃいけないんでしょうか?(机バンバン)
あ、つい熱くなっちゃいましたね。
でも、本当にそうだと思うんです。
自分のままでいいじゃないかって。
内向的だからといって、別に外向的な人と同じにならなくてもいい。
というか、そんなことしようとしても多分無理です。
私がそうだったように。
周りと違っても、自分の信念を持っていたり、個性を大事にしてるって素敵なことだと思います。
みんな同じような人間だったら、絶対世の中つまらないはず。
いろんな人がいるから面白いんです。みんな違ってみんないい。
今の自分を認めて、恐れずにありのままの姿を見せていきましょう。
ア〇雪じゃないけど。
そのほうがきっと生きやすいから。
そして内向的でも外向的でも、それぞれの違いを受け容れられる世の中になったらいいな、と私も願ってます。
安音でした、チャオ♪

