お盆休み。

昨日は母の実家にお邪魔してお線香をあげてきました。

 

高齢女性の遺影のイラスト

この時季になると思い出すのは、私がまだ大学に通っていた4年前の5月、98歳で亡くなった曽祖母のことです。

 

 

大正生まれの曽祖母は、私達が遊びに行くたびに、優しい笑顔で迎えてくれました。

 

母の実家では農業をやっていて、私が子供の頃、よく栽培していたのがシメジ。

作業小屋に座って、箱詰めを一緒に手伝ったことを今でも覚えてます。

 

 

詳しく聞いたことはなかったけど、曽祖母の笑顔の裏には、私の知らない苦労もたくさんあったに違いありません。

 

旦那さん(私の曽祖父)は病気で早くに亡くなって、もちろん戦争も経験してます。

それでも、彼女はいつも周りの人を癒してくれるような、とっても穏やかな人でした。

 

 

歳を重ねても畑作業をしたり、元気に過ごしていた曽祖母。

でもだんだん足腰が弱くなって、耳元で大声で話しかけないと聞こえないほど、聴覚も衰えていきました。

 

さらに伯父から聞いた話では、夜中に突然曽祖父の名前を呼び出して、「早く連れていって」みたいなことを訴えてたとか。

一人でトイレに起きたら、転んで頭から流血したとか・・(汗)

 

ちょっとずつ、お迎えの時間が近づいてることも分かってたんです。

 

 

私が最後にちゃんと会話した時には、布団の上ですっかり寝たきりになってました。



 

そして、私が大学4年生になった2015年5月。

曽祖母が入院したと母から聞いて、帰省した大型連休にお見舞いに行くことに。

 

他の患者さんもいる中で曽祖母が寝ていたのは、入り口のドアに一番近いベッドでした。

もうご飯もほとんど食べられなくなって、脚には水が溜まっている状態。

 

寝ているか、時々うわ言のように何かを話すだけで、親族のことは誰一人分からなくなっていました。

 

 

せめて残りの時間を穏やかに過ごせるようにと、優しく布団をかけながら願った私。

 

曽祖母の姿を見たのは、この日が最後になりました。

 

約2週間後。

連休が明けて学校生活に戻っていた時、母から曽祖母が亡くなったというメールが。

 

そうか、逝っちゃったのか・・

なんとも言えないぼんやりした気持ちのまま、葬儀の日、一人高速バスに乗って母の実家に向かいました。

 

 

私が小さい頃からお世話になった人を亡くしたのは、これが初めてのことだったんです。

 

部屋を覗いたら「あら安音ちゃん、いらっしゃい」なんて、いつもと同じように出迎えてくれるんじゃないかと思って。

なかなか実感が湧きませんでした。

 

庭先に咲くパンジーやビオラの花

会場には、相変わらず柔らかな表情をした曽祖母の遺影が。

それを見て、いろんなことを考えました。

 

一緒に過ごした時間のこと。命にはいつか必ず終わりが来るということ。

曽祖母がいてくれたから、祖父母がいて、両親がいて、今の私がいるんだということ。

 

命のバトンを繋いで、たくさんのものを遺してくれた曽祖母。

感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

 

ひいばあちゃん、本当にありがとう。

ひいじいちゃんと一緒に、これからも私達を見守っていてね。

 

白いツツジの花

そのわずか2ヶ月後、従兄弟夫婦のもとに女の子が生まれました。

曽祖母にとっては玄孫です。

 

小さい頃は一緒に遊んだ従兄弟も、気が付けばお父さんに。

生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて「ひいばあちゃんにも見せたかったな」と話す姿が心に残りました。

 

 

ちなみに従兄弟姪の名前の一部は、曽祖母の法名からとられたものです。

 

今年で4歳になりました。

ちょっと甘えん坊さんだけど、とっても元気な女の子。

 

去年には妹も生まれて、私達に会うのをいつも楽しみにしてくれてます。

 

 

今を生きていることに感謝して手を合わせてきた、今年のお墓参り。

いただいた命とご縁を大事にして、これからも歩いていけますように。